anthocyanin*

宝塚歌劇団の観劇備忘録や初心者さん向けの記事を気ままに。

【花組】超個人的解釈で語る「A Fairy Tale-青い薔薇の精-」その1:この作品は「赦される」お話ではないか(本編ネタバレあり)

「A Fairy Tale」個人的解釈その1:これは「赦される」物語

非常に暑い日が続いていますね…。ザ・残暑。

お出かけする皆様も熱中症などにはお気をつけください。

 

そんな残暑の中、宝塚大劇場では花組公演「A Fairy Tale-青い薔薇の精- / シャルム!」が公演を続けております。

 

今回私はショーよりお芝居のほうが好きなのですが、私の周りでは残念ながら超好評!という感じではなくてですね…。

たくさんの方が観るものなので、そもそも100%満足!というものは演出家の方々でも出せないだろうとか思ってはいるものの。

 

演出の植田景子先生の作品は基本好きなのですが、今回のお話はより遊びと言いますか、余白があるようにも感じています。

それだけ「好きに捉えていいよ」ということなのでしょう。

劇中でも「信じるか信じないかはあなた次第」という言葉が出てくるように、このお話をどのように捉えても、真実はあなたが感じたもの、あなたが解釈したものである…というメッセージではないかと感じています。

 

そう言われると超個人的解釈をしたくなるのが私というもの!

というわけで、今回はお話全体について、私が感じたことを本編及び「ハンナのお花屋さん」のネタバレ満載で解釈したいと思います。

>>花組公演「A Fairy Tale/シャルム!」関連記事まとめは【こちらから
>>花組公演観劇記事まとめは【こちらから
>>花組関連のスカステ感想は【こちらから

 

「ハンナ」も「Fairy Tale」も「赦し」がある 

植田先生とりおちゃん(明日海りおさん)という組み合わせであればやはり外せないのは「ハンナのお花屋さん」です。

 

ハンナでは父親アベルにハンナと自分(クリス)は捨てられた…はいいすぎかもしれませんが、「ハンナを捨てたのではないか」という思いから父親の愛情をあまり感じられず、どこかしこりを残してギクシャクとした関係でした。

それが父親の死をきっかけとして、彼の弟から告げられた真実によって、自分が父を赦し、また母親と幼い頃の自分から赦される…そして自分が本当にやりたかったこと、愛するものがわかるといった昇華があるお話だと思っています。

 

今回の作品「A Fairy Tale」も同じく「赦される」物語ではないかと思っています。

 

大きな2つの「赦し」

誰が赦されるのか?といいますと、もちろん主人公の「青い薔薇の精エリュ」です。

もともと大人になる前に忘却の粉をシャーロットに対して振りかけなかった罪を犯したエリュですので、お話のテーマ(目的)としても「罪が赦される(薔薇の精に戻る)」ことは芯にあるのですが、それに加えて 

 

自分よりも下だと思っていた人間に対しての気持ちが変化し、ハーヴィーとの友情が芽生える(人間にその偏見を「赦される」)のがひとつ。

これは人間であるハーヴィーが精霊たちに対して「自分が愚かである」ことを認め(セリフにもありますね)、かつ精霊たちが見えなくとも植物を守ろうとして共存するという形、「ウォーディアンケース」を提示したことで彼らの心を溶かすといいますか、認められるような形。

また、エリュ自身が自分の驕りに気づいて素直にハーヴィーのため(ひいてはウィールドン家の人々やニックが愛した薔薇の庭を再生するため)に生きることを決意したことからもそう解釈してもいいんじゃないかな、と思っています。

 

そしてシャーロットを長く苦しめていたであろうことに気づき、これまでエリュのわがままで(…と言ってはあれですが。シャーロット自身も忘れたくないという気持ちは持っていたわけですし)、忘却の粉をかけなかったことに対して、ラスト(彼女との再会、会話のシーン)でエリュがシャーロットに「赦される」のがひとつ。

この2点においても「赦し」がテーマのひとつではないかなと思っています。

 

赦されることでどうなるのか?

エリュが赦されることで私たち観客はどう感じるのか?

 

それは人によって大きく違うので結論付けることは出来ませんが、私としては非常にスッキリします。浄化されたような気持ちになります。いわゆるカタルシスなアレ。

赦しとは解放でもあると私は思っていまして。

ほら、悪いことしても謝るとスッキリするじゃないですか(笑)。

 

二人に赦されることでエリュは薔薇の精に戻り、そして昇華する。

一番今りおちゃんに近い立場である2人に赦されることで解放される、それこそ見送られるような形にも思えて…。

 

エリュはクリスと違い自分と向き合うというよりは他人と関係を紡ぐことで昇華させていきますので、そこは「ハンナ」との大きな違いかと思いますし、りおちゃんがナウオンで「周りを受けて(エリュが作られる)」という言葉にもあるのでは、と思います。

 

自分の中の「どこか」が赦されるような

悪をやっつけた!というような大きなカタルシスは得られない作品でしょう。

しかし、誰もが経験したことがあるであろう「考え方の違いによるわだかまり」であったり、「大事に胸の奥にしまっておきたい思い出」と認められ、理解しあい、赦されたとき。

 

自分をエリュに重ねて、自分の中の小さな「どこか」が赦されたとき、どうしようもなくホッとして、安心して、ちょっと心の奥が温かくなる。

そういった優しい赦しのお話ではないか、と私は思うのです。

  

人が他の存在を否定せずに赦し合えば、きっと世界は花でいっぱいの幸せな世界になる。

そんなおとぎ話はとても素敵だと思います。

>>花組公演「A Fairy Tale/シャルム!」関連記事まとめは【こちらから
>>花組公演観劇記事まとめは【こちらから
>>花組関連のスカステ感想は【こちらから